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執筆者の写真Miho Oashi

ソーシャルメディアとの付き合い方(2021年2月)

気がついたこと。ここ最近、SNSに依存していた。

特にインスタグラムだけれど、毎日のようにストーリーをあげたり、誰かの投稿をみて苦しくなったり、自分の投稿に葛藤をぶつけたりしてた。

でも、ふと立ち止まってみる。どうして私は偉そうに、怒ったりしてたんだろう? 自分の世界が、小さい、とても小さいインスタグラムの中に集約されて、その中で生きるようになっていた。


そもそも、いつからだろう。自分が今何をしているか、何に興味があるか、何をしてきたか、そんなことを逐一誰かに知らせるようになったのは。中学生の頃からブログを書いていたけれど、そのスピード感は今とは圧倒的に違う。みんな、今見たものをすぐ共有しなきゃ!という気持ちでいっぱいだ。私もそのひとりで、今食べたもの、今見た空、今の猫、なんでも報告してた。でも、誰に?

仕事で、毎月学者の方にインタビューする機会がある。特にテクノロジー系の研究をしている方が多いのだが、彼らが口を揃えて言うのは、「僕自身はSNSはやらないんです」というフレーズ。なんならスマホ自体持たないという教授もいた。そのほうが世界が楽しいんだと言う。でも彼らは全員インターネットはやるし、なんなら工学のプロである。でもSNSはやらない。

ある方が、「最近はNetflixでSNSについてのドキュメンタリーもやってますよ。僕は学生と観ました」というので、私も観た(もう半年以上前だけれど)。


FacebookとかTwitterの設計に携わった人たちが、みんな「僕はSNSはやらない。子どもにも絶対やらせないよ」という話である(ざっくりしすぎ)。

今読んでいるオードリー・タン氏の本(クーリエ・ジャポン編集)でも、彼女はSNSはやらないんだと言う。


ここのところ、なんだかSNSばかり気になって、とても苦しかったし、自分が嫌になった。地球は、思っているよりきっと広い。家から毎日見える真っ白い富士山も、焼けるような赤い夕日も、煌々と輝く白い月も、私たちが実世界の地球の上に生きていると教えてくれる。私たちの世界は、手のひらサイズほどの四角の中にあるわけじゃない。便利になるのはいいけれど、支配されるのとは違う。


でも人は誰かと繋がっていたい生き物だから、急に遮断するのは難しい。それに私は最近韓国俳優のパク・ソジュンにハマっているから、彼の画像を愛でるのが日課だったのだ……。なので、まずはホーム画面に「ゴミ箱」という名のフォルダを作って、そこにインスタアプリを投げ込んだ。これでいつもより見る時間が減るかも知れない。徐々に慣れろ。たばこを吸わなくなったときと同じだ。なんかまずいと思ったときがやめどきなのだ。

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